ご感想10


匿名さま

*緑色がharimanのコメントです。

体揺らしには本当に、頭が空っぽになる作用がありますね。 

何の努力もせずに、空っぽ、幸せ、リラックス、安心、やすらぎの状態になれる。

 

本当に感謝です。

 

ヨガに慣れて、呼吸と動作が合ってくると一人でやってもそのような状態になって来ますよ。

また、「感じ・感覚」に意識を向けていること。


「感じること」と「考えること」は同時におきません。

「頭(思考)」の活動が静かになると(左脳の働きがお休みすると)、身体と心(頭)が溶け合います。


そして、ひとつの「からだ」として「自然」に還ります。


身体を頭のコントロール下に置き、分析し、探り、「今のこの感じ」を記憶しておこう・・・支配下に置こうとするよりも、頭(理路)をいったん脇に置き、休めて、「感じること(右脳)」「その感覚に溶けていくこと」をharimanヨガ・からだほぐしではおすすめしています。 

 

 

今日、セッションに向かう途中に先週傷めた部分にズキンと痛みがあったのですが、それはまるで虚空に痛みが突然あらわれるような感じでした。

 

しかしセッションが終わってみたら、同じ痛みが、ちゃんと体があって、そこにある組織に存在する痛み、はっきりした感覚として感じられました。

 

前者の痛みには得たいのしれない不安がともないましたが、後者の痛みには、それがありませんでした。

 

自分のもの、自分の一部として、痛みに親しみすら感じました。

 

 

共感します。ありがとうございます。

ほどかれた、ひらいた=受け入れた・受け容れられた といえるかも知れませんね。

 

子どもも、植物も、体も、痛みも、嬉し味も、気づいて受け入れてあげたら、喜ぶような(^.^)

そして、本来のやわらかさ、健やさに還るような。



そして家に帰って、さっき足をさすっていたら、今日のセッションで、足に語りかけたことを思い出しました。

 

(「花に語りかけるように、ひとつひとつの場所に話しかける」というようなことをハリマンさんが言ったことです。)

 

すると突然、また前回のように、今迄体に関心を持ってこなかったことにとても申し訳なさを感じ、涙がにじんできました。

 

でもそれは、自分を責めるのではなく、体と和解しているような、嬉しいような温かい涙でした。

 

 

やわらかく、あたたかく、和して解かれる。

わわわ(笑)話・和・輪ですね(笑)


 

それと同時にどういうわけか、自分の優しさというものを感じました。

 


はい。ふれる(気づく) = ふれられる(気づかれる)。

ヨガ教室やそのまんまの会でよくペアを組んでやります。

それは寝転んだ人をほぐしている人の方が(も)ほぐされるからです。


ほぐされている人がほぐしている人のやさしさやぬくもりを出させてくれている、そんな風に思うこと・感じることがあります。

 


人には全力で優しくしたり、尽くしたり、愛したりする面があるのに、いかにそれを自分に対して出し惜しみしてきたか。

 

あんたにだけはあーげない! と言い続けてきたか。

 

時間にものすごくケチなくせに、自分に時間を割くことを最後にしてきたこと…… 

に気づきました。

 

体と対話が始まったことで、体は頭の知らない智恵を、語り始めてくれたのかもしれない……と思います。

 

先週筋肉を痛めてから、こんなに痛いのに、実際にはどこが痛いのかもなぜ痛いのかもわからないということが嫌になり、筋肉の本を買って、改めて骨盤てこんな形なんだ! こんな働きをするこんな筋肉がついてるんだ! などと確認しています。

 

面白いです。

これからも体の声に耳を傾けていきたいと思います!


はい。からだはいちばん身近な自然です。

楽しみながら、からだという「自然」にふれて(貞いて)ください ^_^