自己紹介(作成中)

どうぞよろしくお願いします。

Hariman

○1964年福岡県福岡市生まれ。

 博多の下町で育った、野球好きの少年でした。

大学進学とともに東京へ。

 

自転車で東京から博多までテント積んで帰ったりしました。水泳も好きでした。フルマラソンを走ったり、山、海、川、カヌー。アウトドアも楽しみました。

 

卒業も近くなったころ、演劇演出家の竹内敏晴さんに出会い、それから野口三千三さんの野口体操に出会い、レッスンに通いました。


竹内さんのお弟子さんである瀬戸島充さんの「からだとことば」の教室にも5年間通い、舞台にも立ちました。

 

この先達の方々の「からだのレッスン」が ハリマンヨガの原点であるともいえます。

 

○20代の終わりころ、何度も足の捻挫を繰り返し「何かおかしいな」と思っていくつかの病院をまわりしたが原因わからず、最後に大学病院で進行性筋萎縮症(シャルコーマリートゥース症)と診断されました。

 

四肢の末端から神経が働かなくなり、その結果筋肉がつかず徐々に萎縮していくというものです。

少しづつ歩きづらくなっていきました。

 

○西洋医学では治らない難病とされるこの病気を治そうと、気功を始めました。

それから、ヨガへ。 

新しい世界に触れていきました。

 

仙遊功、禅密気功。

 

そして、望月勇先生の「プラーナ・ヨーガ」

 

3年間通い、うち2年間は自宅で毎朝5:30に起きて1時間半から2時間ヨガをやりました。

休みの日は気づくと瞑想を含め6時間もやっていることもありました。

 

今のハリマンヨガのベースは望月先生の「プラーナ・ヨガ」です。

 

○それから、また奇縁あってヒマラヤ聖者ヨグマタジ(ヨガの母という意味)からディクシャを受けました。

エネルギーワークというものをここで初めて受けました。

静寂の後の至福を体験したのも初めてでした。

 

 

この頃はいろんなヨガを学ぼうといくつかの教室やクラスを訪れていました。

 

立っている姿勢が保てなくなってきていたので、講師の人にお願いして簡易椅子持参で参加し、立位のポーズは椅子を利用してとることも多かったです。(受け入れてくださった先生方、感謝です)

 

そこで得た着想の一つが、「自分のように足が弱かったり、運動苦手な人でもできるヨガはないか。

そういう人ほど、ヨガのようなものが必要なのではなかろうかと。

 

 

そうして、試行錯誤しながら10年ほど前に第一期のヨガ教室を開きました。

 

○2011年震災の年、またまた偶然に無空庵の「ゼロ意識共鳴」に出会いました。

真我 ゼロ意識 純粋意識 共鳴 という言葉、

 

ラマナ・マハルシ フーマン・エマミ プンジャジ という人たちも初めて知りました。

 ました。。

 

○「だれにでもやさしくできる動きで

からだの重さのままにゆらゆらゆれて

からだをあんしんさせてあげる」

 

このことを出発点にして第2期ハリマンヨガ始まりました。

 

オリジナルのゆらゆらの動き、

ハタヨガのポーズ

呼吸法

 

そして、

純粋意識共鳴

瞑想

天地の呼吸や大周天などの気功法

エネルギーワーク

 

それらを ・・・難しいものはやさしくシンプルなやり方にアレンジして・・・ 時や人に応じてヨガクラスをやっています。

 

Tsubasa

 

○2012年、瞑想中に覚醒(ワンネス)体験をする。その体験と日常(分離)の感覚のギャップから、自分(虚しさ、寂しさ、無力感、怒り、悲しみ等)と向きあうことを始める。

 

○この頃、harimanと出会う。
共鳴で、意識が拡大する経験をする。

 

○2014年、単身、シャスタへ。そこで様々な素晴らしい出会いに恵まれ、帰国後、harimanと「ほどいて・ひらいて・そのまんまの会」を開催。

 

○2014年11月インドの覚者シュリ・アンマ・バガヴァンのディクシャギバーになる。

 

○2016年5月harimanと結婚。再び、今度は二人でシャスタへ。

 

○二人でたのしく暮らしております。