ご感想9(Being Touch 交換セッション)

旧来の型にはまらぬ発想、その『文章』でFacebook等で活躍されている入山文章さん。


新たに『BEING・TOUCH』というヒーリングセッションを始められました。(ブログ→こちら☆


「『やり方(方法)』ではなく『在り方(存在)』による癒し」という言葉を見つけたとき、引き付けられました。僕がやっている「からだほぐし」と繋がることがありそうだ。

交換セッションを申し出たところ、快諾していただき、先日実現しました。


今日も、よく遊びよく学びました♪


初めてハリマンさんの「からだほぐしセッション」を受けました。

(ちなみに、ハリマさんにお逢いしたのは、今日が2回目でした。)



平たく感想を言うと、、、


なぜか大笑いしてしまうほど、ちょー楽しくて、最終的に自分の(締まりのないw)カラダが愛おしくなって、無邪気な心を取り戻し…最高でした!!


いや、とにかく、ホント素晴らしいセッションでした♪



自分のカラダのどこにどんだけ「力み」があるか(=守ろうと固くなっているか)も、わかりました。


信頼のおける人(←これが一番大事かもしれない。)に身をゆだね、全身を「丁寧かつ大胆」にほぐしてもらう心地よさったら、そりゃもう「至福そのもの」って感じでした…(о´∀`о)♪


あ。ちなみに、、、

ご本人は(いくら言っても)認めませんが、ハリマさんは「からだほぐしの天才」です!


で、カラダと心は、やっぱり確実に繋がっています。


だから、カラダほぐしをしてもらうと…どうなるか?


一言で言うと、「アホ」になります!

(力みが抜けるので(笑))



まず、カラダが大きく広がります。ゆるんで伸びるからです。ハリマンのセッションでは、これが面白いほど体感できます。


で、カラダがゆるんで伸びて拡がる(=本来の大きさに戻る)と、「心」もそれにつられるかのように「ゆるんで伸びて拡がる」んです。


つまり、自由自在・融通無碍な「子供の心」に還ります。そんなわけで、「楽しくて仕方ない」状態になり、押さえようのない「笑い(喜び)」が込み上げます。



で、気づいたことは、その時「意識がクリア(鮮明)」になり、「ムダな思考(猿の心)」が引っ込んで「楽しい発想」しかできなくなるんです。笑


心配や不安に基づく「つまらないこと」が、頭のなかに留まれなくなります。



僕は、そんなことを体感して、これから「無邪気な子供」になろう(戻ろう)と決意しました(笑)そして、「よく遊び、よく学ぼう」と♪



「人は、出逢いのなかで、ひらく」


心や花がひらいた素晴らしい一日でした(*^^*)♪

今日出逢った、すべての人に感謝!!♡


合∞掌

文章 Bunsho



*Hariman の ビーイングタッチ の感想です。


昨日、入山文章さんのヒーリングセッション『being・touch』を受けました。


文章さん、ありがとう。

素晴らしかった。


「ヒーリング」でありますが、それをも超えて人間の可能性というか「人間観」がほどかれてさらにひろがったようです。


足先から頭まで表・裏、手を当てられ、微細にゆすられ・・・静寂の中。

時間の感覚もなくなり・・・。


文章さんの手とハリマの身体の触れた・触れられたところ以外は消えてましたよ。


頭の手垢(?変な表現ですね・笑)のついていない清・澄・美の空間でした。


僕の仙骨に文章さんの手が「ご挨拶」された時、すとんと世界が変わった感でした。


はげしくいそがしい刺激の世界では決して気づけない、静けさの中でしか現れないとてもとても「淡い」ものです。


しかし、それに気づけた人は幸いな気がします。


「空」のなかでほんの少しだけ色のついた存在がふれあい、静かに静かに響き合っていたのではないでしょうか。


そしてそこには、一般的に言う人間の「情」を超えたとても儚く淡く、でも鮮やかな「喜び」みたいなニュアンスがありました。


物理的な身体への刺激が好みの人には物足りないかも知れませんが、ぼくは好きです、being・touch。


「在り方」が大切だとか。


だから「being」touch なのですね 。


あの場は「入山文章」、「播磨裕治」がほどかれひらかれ、

今まで思っていた「人間の在りよう」がほどかれていたように想えます。


僕が「からだほぐしセッション」をやっていて次第に自然に、シンプルに静かな内容に変わっていっているのも必然のように思えました。


気になっていた文章さんのbeingtouch受けられてよかった。


感謝 。